本展示にて展示している作品より以前の作品は、専ら油絵具を使用したものがほとんどでしたが、ここ数ヶ月間はキャンバス、又は紙にクレヨンで制作しておりました。油絵具を使用しなくなった理由としましては、油絵具の物質感の強さにより、作品の方向性を見失ってしまうという問題が昨年から頻発するようになったからです。まず、油絵具は一定期間放置しておくと画面が乾いてしまいます。その後に制作を再開するとなると、乾いた絵具の上から再度絵具を重ねていくことになりますが、それが制作において大変な弊害となっていました。画面が乾いてしまうとそこで思考が分断され、また一から思考を構築せねばならないという感覚があり、全く流動的・連続的に思考することが出来ておりませんでした。結果的に何度も何度も思考を構築し、それに合わせて絵具の層が重なっていくと油絵具の物質感が非常に強くなっていきます。すると元々の作品のテーマ(テーマは作品ごとにまちまちですが、例えば昨年の作品「表情 / The expression 」ですと、ある物体の表面の表情を目線で追っていくことなど。過去の作品はポー
トフォリオ参照。)に、物質との身体的な格闘という余計な問題が加わってきてしまいます。こうなってくると徐々に作品の方向性を見失っていき、迷宮入りしてしまいます。その解決策の1つがクレヨンを使用することでした。クレヨンは乾くという概念がほとんどないので、思考を連続させていきやすく、流動的に制作していくことが可能になると考えたからです。あらゆる可能性を加味しながら流動的に思考していくことそれ自体を本展のテーマに据え、制作を進めることにしました。
このテーマを踏まえ制作において、自分の中での最良の作品をドストライクで狙っていくよりかは、そのストライクゾーンの周りにあるものを掬い取っていく、ということを意識していました。これまでは絶対的にドストライクなものを狙い続けて描いていましたが、そうすることで逆に思考が硬くなってしまうことがありました。自分が良いと思う作品が必ずしも良い作品ではないかも知れないし、悪いものだと切り捨てたものの中にも良いものが潜んでいるかもしれません。この考え方により、いい作品になるか否かをあまり気にせず、とにかく枚数を重ねていくことが出来ました。本展に展示しているキャンバスにクレヨンで描かれたものはその中から選別した一部です。また、画面上に色を置いていく際は手元を注視しすぎず、手元の周辺をぼんやり見つめながら描くよう意識していました。今まさに画面上に置いているその色と、その周辺の要素との相対的な色彩関係・きわの強弱などが適切かどうかをそのつど判断していくためです。以前の制作において、手元を注視しすぎると視野が狭まり、それと同時に思考までもが狭まっていくような感覚がありましたので、それを防ぐためにこのように制作を進めていました。
「The inner peripheral views」というタイトルの全作品のモチーフはプールに映った木の影を選択しています。水や木は形が不定形であるが故に、制作中ある程度形を自由に変化させていくことが出来るだろうと考えたからです。画面上のプールが置かれている風景は全て自分で構成したものであり、現実世界に存在するものであはりません。何も描かれていない白い紙をぼんやり見つめ、浮かび上がってきた形を紙にドローイングしました。その中からキャンバス上での制作に移行できそうなものを選び取りました。以前の作品は現実世界からモチーフを探し、それを見て制作していました。しかし今後長く制作を続けていくことを考えると、モチーフを逐一探す時間が無くなってくるだろうと考えたので、画面内の状況を自分で想定することにしました。また、水面が揺らぐように、自身の思考も固めず揺さぶり続け、あらゆる作業の選択肢(色の選択など)の分岐がある中で、現在自分か行っている作業が最適かどうかを常に自身に問いかけることを意識していました。
プールの作品に関して、一連の制作を終えた後いくつか反省点が見えてきました。ひとつは構図や形の出方などが形式的になってしまう節があること。もうひとつは、クレヨンは油絵具ほどの物質感がないにしろそれでもなお物質感があり、油絵具同様、制作を進めていくうちに物質との身体的な格闘という要素が加わってきてしまうこと。構図や形の形式的な出方に関しては、自分の頭の中で考えた形を出すが故に、想定外の形が画面上に現れることはまずありません。そこから脱出するために、自分で撮影した風景の写真を元に、紙に水性マーカーでドローイングをするようになりました。自分の外部に着眼点を見出すことで、モチーフの幅や構図の幅などが格段に広くなったかと思います。また水性マーカーは色を重ね続けても物質感が発生しません。描くときの意識として、現場で感じた光の強さ・温度などに対する実感と、写真を観察しながら描くこと、それらと絵として成立させるための判断のバランスを意識して制作しています。どの写真を作品として描き起こすかや、どの色を画面に置いていくかなどは、自分を空っ
ぽの状態にして、自分の中にスッと入ってきたものを選択するようにしています。また、描く対象を観念的なイメージに無理矢理当てはめないように注意しています。今後は自分という空っぽのフィルターにイメージを通し続けて制作することになるので、空っぽの状態を維持し続けることが重要になってくるだろうと思います。自分の中にあるあらゆる考え、観念、物語性など、すべて漂白した上での純粋絵画を提示することが今後の制作のテーマです。それに基づいた制作の可能性の片鱗として、本展示にてドローイングと絵画を展示することにしました。「The empty filter」というタイトルの全作品がそれにあたります。2021 年3 月11 日(木)~14 日(日)には修了制作展があります。そこではこのテーマをより掘り下げた絵画を提示する予定ですので、そちらの方にも是非足を運んでいただけると幸いです。今後より良い作品をお見せできることを楽しみにしております。本日はご来場いただき誠にありがとうございました。